徒然CURIOSISM

同人サークル「CURIOSIST」主宰・朝森久弥の雑文の集合体です。

やや忙しい夏休み。

 日本一周の準備のために、バックパックを探しに行ったり、るるぶを読み漁ったり、時刻表とにらめっこしている今日この頃です、こんにちは。 
 
 旅立つまでにある程度サイトの形を整える作業の一つとして、先ほど、「朝森久弥の部屋」にあったいくつかのコンテンツを「CURIOSIST」に移動させた、と言うのが今回の更新です。あ、でも「徒然荘」と「久弥の法則」にも新作を投入しておきましたので、よろしければご覧くださいな。
 なお、「朝森久弥の部屋」は、4月30日に「あと2〜3ヶ月残しておくつもり」と予告したので、そろそろ完全に閉鎖したいと思います。少なくとも今から1週間以内には閉鎖を結構いたしますので、ご了承ください。


 所で、今回の「徒然荘」の新作は「言葉遣い」についてなのですが、これに関連して、次の言葉について取り上げてみたいと思います。その言葉とは、「発展途上国」です。
 われ思うに、この言葉には、いわゆる先進国の傲慢な態度が見え隠れしています。
 「発展途上」と言うことは、「まだ発展している途中」と言うことに他なりません。しかし、そもそもいわゆる「発展途上国」すべてが、いわゆる先進国のような発展を望んでいるのでしょうか?そもそも、今のいわゆる先進国(もっと言うと欧米、日本)のような社会になっていくことが発展、即ちより良い社会と言い切れるのでしょうか?
 私が始めてこう考えたのは高校1、2年生のときだったと思います。そう考えるきっかけとなった本では、「発展途上国」ではなく「開発途上国」という言葉を使っていました。
 なるほど、いわゆる先進国のいう「発展」と言うのは、自然をコントロールし、自分たちが生活するに適している環境を構築すると言う「開発」に過ぎないのだなぁ、と思いました。
 勿論、そうした先進国のあり方が間違っているとは言えません。現に私もその利益を享受している人間の1人ですし。
 されど、それがより良い社会の唯一の基準ではない、もっと言うと、「発展」の仕方は多種多様である、と認識していることは必要ではないでしょうか。
 つまるところ、こうした言葉一つとっても、それを使う人間の「価値観」というものが表れているんだなぁ、としみじみ感じているわけです。


 とまぁ、堅苦しい話はこれくらいにしておきましょう。


 さて、夏休みが始まったばかりのこの時期は、何かと忙しいことが多いですね。受験生ともなれば塾や予備校に通って一日中屋内で過ごすことも多いと思われます。くれぐれも冷房の当たりすぎには注意してくださいね。

 それでは。