徒然CURIOSISM

同人サークル「CURIOSIST」主宰・朝森久弥の雑文の集合体です。

21世紀は「想像と創造の時代」

 今週末は朝4時に寝て昼2時に起きてた朝森久弥です、こんばんは。

 ↑は釣りっぽいタイトルですが大したことは書かれてません、ご留意を。






 研究計画書のネタがなかなか思い浮かばない。願書提出まであと一ヶ月くらいだと言うのに。


 これでもここ一年間、研究のネタを妄想して書き留めては来たのだけれど、如何に科学的に考察するか、まで結び付けられないんですよね。ちょっと心理学や認知科学脳科学をかじると、余計に「あっこれ無理そう」って思ってしまう。

 私のメモの中で、ゲーム関連のものを挙げてみると……


◎何故人はゲームに惹かれるのか?

回答例1「描かれているフィクションが、人がリアル世界では満たしえない欲望を叶えているのか?」

たとえば、エロゲを考える
・予定調和なストーリー
・視覚と聴覚から「萌えられる」
→だがよく見ろ、登場キャラクターは三次元のそれと似て似つかぬ顔、容姿じゃないか
→髪の色にしたって現実にはあり得ないのばっかり
→しかし、プレーヤーはそれらを愉しむことが出来る

三次元で同様のシチュ見た場合でも同様?人の脳的には、二次元キャラも三次元女優も同様に処理されるの?


実例1「80時間ぶっ続けでネトゲして死んでしまった人がいたよね」

何がその人をそこまでさせたの?
ネトゲプレイにより得られる「報酬」に基づく、一種の条件づけの末路

「報酬」の正体は?
RPGだったら、レベルを上げて強くしていくことへの欲求
→ゲーム内のデータ(その先にいるはずの他のプレーヤーたち)とのインタラクティブなやり取りによって感じた「リアルっぽさ」

人はゲーム内に「リアルっぽさ」を感じた時、それにハマるのではないか?
→じゃあ「リアルっぽさ」を感じている時、脳はどうなってるの?そもそも何がリアルっぽさなの?


◎ゲーム研究を通してお前は何がしたいのか?

回答例1「ゲーム内のあらゆる要素の内、何が人にどれだけ影響を与えるのか把握」
・レイティングの精度向上になるかも
・暴力描写があるゲームが人の暴力性を助長するのかどうかについては既にそれなりの研究成果が出ている
・だがどうようにレイティングの考慮対象になってる性描写については、その与える影響に関する研究は皆無に等しいんだよな
→だが目ぼしい研究手法が思いつかないし
→それ以前に人間の本能的なところで拒否反応が出るだろう
→じゃあその拒否反応の正体って何さ?むしろそれが知りたい


回答例2「人に特徴的な能力であるはずの想像力と創造力の本質を知る手がかり」
・フィクション的な何かをここまで好む生物種はヒトだけ
前頭前野の仕業?
・芸術や宗教に惹かれるのは何故?
→もしこれに科学的な説明が与えられ、それを人類が納得したら、多分この世は変わる。ただ、もしかすると「変えてはならない」と言われるかもだけど
→でもさ、「彼が○○にハマってるだなんて、理解できない」じゃなくて、「へー彼は○○にハマってるんだ。まぁあり得る話だよね、彼だって、にんげんだもの」に変わったら、ちょっとは幸せになれるんじゃないのかなぁ?


 うーん……


 そもそもこういう問題を、科学的に考察しようとしてるのが間違いなのかなぁ。ヒトの想像活動や創造活動というのは、それを実際にしている人たちの主観的な眼でしか語りえないのだろうか。日本オタク文化で言えば、東浩紀伊藤剛夏目房之助のような人たちしか。

マンガ脳 マンガを読むと頭が良くなる!

マンガ脳 マンガを読むと頭が良くなる!

参考:フタエノキワモノ - 書評 - マンガ脳@404 Blog Not Found

 こういう話をソウゾウ行為全般(芸術・科学・宗教etc)に拡張させられたら……人間ってやっぱ面白い生き物だよなぁって実感すると思うのですが、こんなこと考えてる私は何かおかしいのかな?




 私は、ソウゾウ行為に勤しむヒト、その行為そのものやその産物惹かれるヒトが、いとおしくてならないんですよ。

 幼い頃からゲームやらクイズやらを創りつつ、
 いわゆる新興宗教に入れ込んでいる人たちを長年眺め続け、
 世界一周中にイスラム教徒の振る舞いを目の当たりにし、
 「あずまんが大王」がきっかけで絵に目覚め、イラストレーターになった友人と会い、
 ソウゾウ者たちの集う同人誌即売会に、1年半で国立大学における半年分の授業料相当額を費やした私の本質は、多分、これなんだと思います。



で、ここからちょっとだけ政治的な話が絡みますけど。


世間はソウゾウ者たちをみくびっている。特に、日本では。


 経済成長を優先させる方針だったから仕方なかったのかもしれないけれど、元も子もない言い方をすれば「金稼ぎ」のために、(直接的には)お金をもたらさないソウゾウ者たち及びその産物はあまり大切にされてこなかった気がします。
 今の世の中は確かに経済的に豊かになりましたが、それと引き換えに蔑ろにしてしまったもの ―有り体な言葉で言えば「精神面での充足」とか― は、そのような姿勢の歪みから来ているのではないか、としばしば思うのです。


 最近になって、たとえば「コンテンツ創造」とか言って色々政策が盛んなようですが、それは「金稼ぎの手段としてどう昇華させるか考えようぜ」と言っているに過ぎず、ソウゾウ者たちがソウゾウ行為をするのに心地よい環境を提供する方向にはあまり重点が置かれていないようです。

 あと、マスコミのソウゾウ者たちに対する報道を見ても、時に奇異な目で見られていることも……これは専ら私の守備範囲に関してですが。



 人の「人らしさ」って何でしょうう?その最たる要素のひとつが「ソウゾウすること」だと信じています。
 で、願わくば、「ソウゾウ」というものがもっと尊ばれる社会にしていけないかなぁ、と。そうなることで救われる人が、世の中に結構沢山いるだろうから。

 そんな妄想実現のための基礎的研究に、私はこの身を投じてみたい。

 そのための布石が、ゲーム研究なんだ。きっと。




 はいはーい、そろそろ脳内麻薬が切れたようなので今日はここでお終いにします。こんな構成メチャクチャな文章を最後までお読み頂きありがとうございました。もし何かございましたら、コメントしたりWeb拍手送ったり頂けると私はとても嬉しいです。



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それでは。