徒然CURIOSISM

同人サークル「CURIOSIST」主宰・朝森久弥の雑文の集合体です。

ゲーム研究とか言ってる人って何なの?死ぬの?


はじめに:タイトルはホッテントリメーカー様からの提供でした。
参照:http://pha22.net/hotentry/title/s/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E7%A0%94%E7%A9%B6/615/




「コンピュータゲームを題材とした実証的認知科学研究」


大学院入試の願書と共に提出する研究計画書に、このテーマを基に研究計画を書くつもりなのだが……
どうも最近、閉塞感が漂っている。


「研究計画を立てる」

その行為自体はずっと憧れだったし、実際取り組んでみるととても面白いと感じる。まるで同人ゲームの企画書を練っているときのような快感だ。
イデアも、全く浮かばない訳ではない。冒頭のテーマについての研究成果はまだ乏しく、素人目には穴が沢山あるように見える。
じゃあ、そのような穴を埋めるような研究テーマをやればいいのかというと、話はそんなに単純ではない。


「科学的に有意なデータが得られる実験なのか」という、大きな壁がある。


認知科学の研究は、ヒト(或いは他の動物)に特定の刺激を与え、それに対する応答を観測することで、刺激をどのように処理するかを考察することを目的としている。

言い換えれば、x(刺激)に対するy(応答)のデータを積み重ね、y=f(x)のf(x)を突き止める作業をしていると言えよう。
だから、与えるべきxは出来る限り明瞭なものでなくてはならない。


が、しかし、コンピュータゲーム(以下、ゲーム)は、同時に多種多様の刺激を与える媒体である。関数のたとえで言えば、一度にあまりにも多くのxが代入されてしまうのだ。
つまり、y=f(x)ではなく、y=f(x,a,b,c,…)の関係しか得られない。


たとえば「スト2で遊ばせたところ、前頭前野正中部の活動が低下した」という実験結果が得られたとする。
このとき「前頭前野正中部の活動が低下した」がパラメータyだとして、「スト2で遊ぶ」が刺激xに相当すると言えるだろうか?
否、「スト2で遊ぶ」という行動の中には、多数の刺激がプレイヤーに与えられているはずだ。
大まかに分けても、「ゲーム画面を見る」「BGMを聞く」「コントローラを操作する」などなど。

このままでは、果たして「前頭前野正中部の活動が低下した」のは、「闘っているシーンを見ていたから」なのか、「そのBGMを聞いていたから」なのか、はたまた「断続的にボタンを押すという行動をしていたから」なのか、見分けがつかない


だから大抵の場合この手の実験では、
「特徴的なヒトの顔を次々と見せる」
「ある楽曲を聞いてもらう」
「合図に従ってボタンを押してもらう」
といった単純な作業に落とし込んで、その時の応答を観察するのが王道とされている。


となると、当初私が思い描いていたような、「実際にあるゲームで遊んでもらってその時の脳活動を計測する」といった実験では、科学的にナンセンスなデータしか得られない、ということかも……orz


すると、研究計画の方向性としては、

・ゲームに特徴的な要素を細かく分解して、その中からピックアップした要素に対する応答を調べる
 →y=f(x,a,b,c,…)からy=f(x)・y=f(a)・y=f(b)・y=f(c)etcの中でどれかを選び出す。yに大きく影響を及ぼすだろう変数を選ばなければならない

・実際にゲームをさせるが、ゲーム内のある要素だけをいじって応答の違いを見る
 →y=f(x,a,b,c,…)のうち、xだけを変数として他を全て定数とする。しかし、あらゆるパラメータを厳密に「定数化」するのは至難の業、どこまで近似させるのか

・ゲームを題材にするのを諦める
→いまさらムリ\(^o^)/締め切りまであと1ヶ月切ったよー



ふぅ…



ここまで書いてて思ったのだが、一体全体、どうして私はこれほどまでにゲーム研究に拘っているのだろう?

少なくとも、何かしら大義名分があったはずだ。



……今の自分の立ち位置を再確認するためにも、ここでいったん、これまでの経験と心境の変化を振り返ってみたい。


それでは。






(続く)