徒然CURIOSISM

同人サークル「CURIOSIST」主宰・朝森久弥の雑文の集合体です。

いかにして私はソウゾウを愛するようになったか

 こんばんは、朝森久弥です。

 前回のエントリゲーム研究とか言ってる人って何なの?死ぬの? - 徒然CURIOSISMの最後に、

ここまで書いてて思ったのだが、一体全体、どうして私はこれほどまでにゲーム研究に拘っているのだろう?

少なくとも、何かしら大義名分があったはずだ。


……今の自分の立ち位置を再確認するためにも、ここでいったん、これまでの経験と心境の変化を振り返ってみたい。

と書いたので、ちょっくらその通りにしてみようと思います。


過去にどこかで述べたことと同じようなことを綴るかも分かりませんが、そこはひとつご愛嬌ということで。



 私はごく平凡な家庭の長男に生まれた。両親の教育方針はおおらかで、「本人が満足するように生きよ」という感じ。具体的には、「勉強しなさい」とは一度も言うことは無かったし、家族みんなで「クレヨンしんちゃん」を見てバカ笑いしていたし、ファミコンは物心ついた頃には既においてあった。黄色いカートリッジの「スーパーマリオブラザーズ」を、父と私のどちらが早くクリア出来るかを競っていたのも、今では良い昔話だ。

 そんな両親だったから小学校に入っても特に習い事を強制されることもなかった。ただ、ピアノだけは例外だったが。私の小1一学期の通信簿に記された音楽の成績を見て、そこに何かを感じ取った母親が、私を地元のピアノ教室に入れたのだった。

 「かえるのうた」と「ねこふんじゃった」を習得した私は得意になって、バイエルの上巻を終わらせたところまでは順調だったが、小学校中学年になると男友だちとの遊びの方が楽しくなって練習が疎かに。結局小学校卒業時に何とかバイエル修了したことにしてピアノ教室を終えた。

 この時期流行っていた遊びと言えば、
「バトル鉛筆」「ミニ四駆」「ポケモン」「遊戯王カードゲーム」などで、私もこれらに興じていたのだが、次第に飽きてきた。というか、こういう流行についていくのが煩わしくなった。

 で、どうしてたのかと言うと、自分で(ときに友だちを巻き込んで)ゲームを作って、それで遊んでいた。
 ここら辺の詳しい話は次のエントリを参照。
良く言えば「節約癖」、悪く言えば「貧乏性」(続き) - 徒然CURIOSISM

 当時から手先は不器用だったし、絵心も全く無かったのだが、
「何か面白いもの創りてえぇ!」
という気概には何故か満ち満ちていた。

 そうした気概の一部が前述のような「ゲーム自家発電」に、そして他の部分では「自由研究」にぶつけられていたと推測する。

 確か、小学3年・4年の時は「地図」に興味を持ち、自転車で町内をワンダリングして地図を作成したし、5年の時は郷土史を漁り年表を作成。そして6年では何故かイネの観察。この他、日本史にも興味を持って「日本史検定」なるものを作っては人にやらせていたし、織田信長豊臣秀吉の当時の支持率を推測して遊んでいたり、中1では魏志倭人伝を約して邪馬台国の場所を突き止めていたりした。
 ここら辺の話は次のエントリも参照。
朝森久弥の中の人の今後。 - 徒然CURIOSISM

 で、こういうのが無性に面白かった&当時は「勉強できる子」で通ってたなどの理由により、いつのまにか「研究者になりたい!」と決心するようになったのだと思われる。ちなみにこの時点では何故か、「ゲームクリエーターになりたい!」とは思わなかったようだ。


 中学に入ってとりあえず楽そうな運動部ってことで卓球部を選んだ私だったが、結局は自分の運動神経の無さを再認識させられるだけだった*1
 さらに通知表で保健体育「3」・美術「2」を突きつけられた私は、「俺には“お勉強”しか取り柄無いんだ」とつくづく思ったものだ*2。体育はともかくとして、私にはいわゆる美的センスがないようだから、やはり研究者とかそういう道の方があってるだろう、という思いを強くした。


 何かを「創ること」*3に人一倍情熱を持っているということは、同時に、他の「創りびと」に対する強い憧れへと繋がる。私がこれまで好きになってきた異性が往々にして音楽の才があったり絵描きの才があったりするのは、私のそうした傾向と全く無縁ではなかろう。


 さて、中2から中3の頃、私は運命のPCデビューを果たす。そして瞬く間に、フリーゲームにハマるようになった。
 何たって、安い。小遣いを使わずに済む。それでいてそこそこ面白い。私のことだから多分初めの動機はそんな感じだったはずだ。しかし、一本のゲームが私の人生を変えた。
 そのゲームは、おらが町クイズ大戦
 誰が何と言おうと、私がゲーム制作の道に入ったのはこのゲームをプレイしたことがきっかけである。

 高校受験を終えた辺りからいざ制作を始めた私。コミックメーカーを使っていたのに「ゲーム制作って思ったより楽だなw」とか思いあがっていたら早々に行き詰った。
 「まさかこんなに手間がかかる作業とは……」
 小中の自由研究よりも数倍面倒くさいその企画を投げようと思ったことは一度や二度ではなかったが、どういうわけか1年で完成にこぎつけた*4
 こうして生まれたのが処女作「全力疾答!クイズマラソン」である。


 なんやかやでフリーゲームリエーターにデビューした私は、味をしめて早速次回作の構想に入る……はずだった。しかし、「クイマラ」完成直後に起きた(起こした)事件で負った精神的ダメージは大きく、色々と人生に悩んだ時期でもあったので、ついに高校在学中にゲーム制作に着手することはなかった。

 実は私が本格的にマンガにハマりだしたのはこの時期である。「KAGETORA」や「いでじゅう!」で主人公を応援しつつも最後には主人公に羨望の念を抱いたり、「最終兵器彼女」を本当に百回読み返して人生の意味について考えたり。

 あと、「ノベルゲーム」で特に恋愛を題材にしたものにのめりこみ始めたのも実はこの頃であると告白しておこう。
 「FLOOD OF TEARS」「ヒトナツの夢」にどれだけ心を動かされていたことか。

 私が「日本オタク文化」に目覚めたのは世界一周後と捉えている方もいらっしゃるかもしれないが、実はこの頃からその兆候はあったのだ。


 そんな多感な時期を経て、いよいよ大学生になった私は、大学在学中に次の2つのことは絶対にやりたい!と心に誓った。
ひとつは、ゲームを創ること。そしてもう一つはどういうわけか、世界一周すること。世界一周を思い立った経緯は次のページ参照。
u–Ï‘z‚µ‚Z¶v\A Boy meets a book.\

 いずれも時間のかかるプロジェクトだったにも関わらず、私は不思議なことにガツガツ系のサークルに入ってしまう*5。緻密な計画を立てて何とか2年の夏に世界一周を実現することは出来たが、さらにゲーム制作を実現するには、サークルに費やす時間を持ってくる必要があった。


 それにしても世界一周は、私を隅々までシゲキしてくれた。
 一日が何日にも思えた濃密な経験、持ち合わせの常識―日本で19年生きてきて身につけたちっぽけな価値観―では推し量れない言動をする人々との出会い。そして、その中で垣間見えた人間という生き物の根っこ。

 世界一周は私に、「ヒトってこんなに面白いんだ!!」と教えてくれた。

 化学という物質を扱う学問を専攻しているにも関わらず人間を研究してみたいと思うようになったきっかけの半分は、世界一周経験にあると言っても過言ではない。


 では、残り半分は?


 私がこれまで積み重ねてきた、ソウゾウ活動だ。


 世界一周後の私の行動については改めて語る必要も無いだろうが、要は、「想像から新しいモノを創造すること」「創造されたものから想像を膨らませて楽しむこと」がいかに魅力に溢れているかということを、「日本オタク文化」界隈に関わって思い知ったということである。


 そして、21歳の誕生日を迎えた日、
ただの人間に興味あります。 - 徒然CURIOSISM
このようなエントリを書くに至った、と。


 以上、長々と自分の半生を振り返ってみたことで、今後ヒトを研究していくときに、大切にしていきたい観点が、幾つか思い浮かんだ気がする。


ひとつめ。
「自分が本当に好きなことを大切にしよう」
好きだからこそ、もっと知りたいと思う。そんな恋愛にも似た想いが強ければ強いほど、研究にもアツくなれるはずだ。

ふたつめ。
「創りびとにこそ目を向けよう」
最近、研究計画を考える際に、どうも「それを楽しむ人」ばかりに目が向いていたみたい。研究の幅を広げるためにも、忘れないように。ある意味、ひとつめの具体案。

みっつめ。
「人の心を豊かにする研究を目指そう」
得られるだろう成果が、想像と創造を愛する人々を少しでも励ませるような研究がしたい。その結果、私が好きなソウゾウの世界がもっと活気溢れるものになったら、どんなに素敵だろうか!




好きなものを如何に魅力的に表現するか。

この点は、研究者も芸術家に通ずるものがあるかもなぁと思ったり思わなかったり。


よーし、もう少し研究計画書作成頑張ってみるよ。


長文おつかれさまでした。Web拍手はこのコへどうぞ!

それでは。

*1:それでも一応三年間続けて、3年の中体連では個人戦郡大会ベスト16まで行ったが

*2:技術家庭科はペーパーテストがあったので4or5、音楽はピアノでの経験が生きたのかやはり4or5だった。なお保健体育はペーパーで学年1位だったにも関わらず常に3。つまりそういうこと。

*3:研究は「知識」を創ることである、という考え

*4:時効だろうから暴露すると、「俺、このゲーム完成したらあのコに告白するんだ……」と自分に言い聞かせ、制作モチベーションを維持していたのだ。結果、制作は上手くいき、告白もしたのだが見事ふられている。ある意味死亡フラグだったかorz

*5:無論、この「生協学生委員会」というサークルで学べたことは沢山あるし、かけがえのない友人も出来たので、後悔はしていない。