明けましておめでとうございます、朝森久弥です。
私は宇宙飛行士選抜試験、正確に言うと、JAXA(宇宙航空研究開発機構)による2021年度宇宙飛行士候補者募集に応募し、2022年の約1年にわたり選抜試験を受験しました。
4127人の応募者の中から、第二次選抜に残った50人のうちの1人になったものの、第三次選抜(最終選考)に進むことはできませんでした。
VTuberにして同人作家という、一見すると宇宙飛行士とはかけ離れた存在である私が、なぜこの試験を受けたのか?この試験を受けてどんな想いを抱いたのか?
それらを、JAXAに迷惑がかからない程度に書き記しておこうと思います。
この世界のすべてを知りたい
昭和時代の末期に生まれた私は、幼いころから多方面に興味を示す人間でした。小2の自由研究のテーマはダム。小3でバトルえんぴつの自作、小4で地図づくり、小5で遊戯王ライクなカードゲームづくりに勤しんだら、小6では日本史にハマり、中1で魏志倭人伝を現代語訳していました。
スポーツはあまり得意ではなく、昼休みはだいたい学校の図書室で過ごしていました。通学路から見える景色の大半が田畑で占められる田舎で生まれ育った私にとって、本は刺激的な未知の世界への貴重な道標だったのです。
中学生のとき、近所に観覧車ができたというので乗りに行ったら、見えたのはふだんと同じ田園風景でした。
「この景色だけを見て一生を終えるなんてもったいない。もっともっと、いろんな世界を見てみたい」
そんな思いを強くしました。
私の父は高専卒のエンジニア、母は高卒の専業主婦で、2人から大学進学はとくに勧められませんでした。何なら、就職に有利だからと高専をよく勧められたほどです。地元を愛し地元のメーカーで働き、家族6人を養った父は尊敬していますが、私は何としてもこの田舎から出て、世界を股にかけて生きていきたいと決心しました。
隣町の公立進学校に進学した私は、学校主催の講演会で毛利衛宇宙飛行士と出会いました。講演会の前までは、宇宙という未知の世界に興味はあったものの、宇宙飛行士という職業に強い関心は持っていませんでした。というのも、小学生のときに読んだ某子ども百科事典に「目が悪いと宇宙飛行士になれない」と書いてあったからです。当時すでに視力0.1を切っていた私はお呼びでないと思い込んでいました。そこで私は、講演が終わった後の質疑応答タイムで、毛利さんにこのような質問をしました。
「私は目が悪いので宇宙飛行士になれないのですが……毛利さんには、月とか火星とかに行ってもらえないでしょうか?」
質問というかリクエストをしてしまったのですが、毛利さんはこのように答えました。
「これからは、目が悪くても宇宙飛行士になれますよ。自分でなって、行ってみるのもいい。がんばって」
そう言って毛利さんは、私と握手を交わしてくれました。
「目が悪くても宇宙飛行士になれる」
その事実を知らされて虚をつかれた私は、同時に、毛利さんの手から何か熱いものを受け取った気がしました。
それが、私の人生が始まった瞬間だったのです。
CURIOSISTとして生きる
この世界のあらゆるものを知りたいと願う私にとって、宇宙飛行士は魅力的な手段のひとつです。それを目指すことができるならば、目指さない理由はありません。ただ、私の興味は多方面に拡散していて、宇宙工学などの「いかにも」な分野に全力でコミットするのは違和感がありました。高校では一応理系クラスにいたものの、世界を股にかけて働く国連職員になるために国際関係学を学ぶことも視野に入れていたくらいです。それでも、理系学部を出た方が有利なことは確かなので、興味が移ってもつぶしが効きそうな理学部化学科を選びました。何より、毛利さんも理学部化学科卒ですから間違いないでしょう。
宇宙に行きたいのに、地球のことをまだろくに知らないと気づいた私は、手始めに世界一周旅行をすることにしました。まず大学1年の夏休みに青春18きっぷで日本一周一人旅をし、旅行経験値を高めてから、大学2年の夏休みに世界一周一人旅をしました。その次は南極大陸に行くためその手の大学院(国立極地研究所)に進学しようかと考えましたが、大学2年の冬にコミックマーケットに出会い、創作活動に興味を抱きました。人がなぜ、生きるのに必須ではない創作活動に没頭するのか、そこから生み出される創作物を愛するのかを知りたいと思い、大学院では認知科学を専攻することにしました。同時に、自らも創作活動に励み、同人ゲームや同人誌を作っては、コミックマーケットなどの同人誌即売会に数十回出展して頒布しました。
私はマンガやアニメ、ゲームといった日本オタク文化も大好きですが、創作活動においては、一人でも多くの人に「知る楽しさ」を届けたいという想いで活動しています。あらゆる分野の知識に興味を示し、自分の世界を拡げることに感じてきた喜びを、多くの人と分かち合いたいと考え、ガチ勢向けではないクイズゲームを多く作ってきました。また、世の中で起こる揉め事や不和の多くは共通認識の相違にあると考え、地域や世代で共通認識の相違が激しい教育分野で何冊かの本を書いてきました。さらに、多くの人に知識を楽しく、所属を明かすことなく伝える手段として、VTuberとして動画配信にも取り組んでいます。
大学院を出てから現在に至るまでの職業は明かしませんが、私の創作活動と同様、一人でも多くの人に「知る楽しさ」を届けたいという軸で選びました。宇宙飛行士を目指す人がふつう選ぶ職業ではないけれども、宇宙開発が進展すれば宇宙飛行士に必ず求められる能力が得られる確信がありました。
CURIOSISTは「好奇心旺盛な人」という意味で、私の造語であり、モットーです。人類の好奇心の極致・宇宙開発の先鋒である宇宙飛行士は、飛び切りのCURIOSISTであるに違いありません。
CURIOSISTとして自分を高めたその先に、宇宙飛行士というキャリアが見える。そう信じて日々を積み重ねてきたところに、今回の募集の報が入ったのです。
学びを活かす(書類選抜・第0次選抜)
2022年1月1日。宇宙飛行士選抜試験のマイページに登録を済ませた私は、試験が終わるまで断酒すると決めました。結果として2022年は酒を1滴も飲まずに過ごしました。
試験に応募するにはエントリーシートだけでなく、健康診断結果も提出しなければなりません。この健康診断が宇宙飛行士選抜仕様の特殊なもので、どこの病院でもやってもらえるものではありませんでした。健康診断を受けられる病院を探すところから選抜が始まっていたのです。私は、航空身体検査(パイロット用の健康診断)を手がけている病院ならやってもらえるのではと当たりを付けて、都内の病院で健康診断を受けました。
書類選抜の次にある0次選抜に英語とSTEM(理数系)の試験があることは分かっていたので、2月からはエントリーシート作成と並行して対策を始めました。当初は英語とSTEMを日替わりで対策しようと考えていましたが、2月頭にTOEICの参考書の模擬試験を解いたら640点(990点満点)しかなく、STEMよりも英語の方がボーダーを超えられない可能性が高かったので、まず英語対策に注力することにしました。
今回の宇宙飛行士選抜試験は、初期段階ではオンラインで行われました。このため選抜中に他の受験者と会う機会が少なく、もっぱらTwitterで動向を追うことにしました。他の受験者の英語力の高さをツイートで見せつけられたり、華やかな経歴の人が何人も応募していたりするのを目の当たりにし、戦々恐々とした日々を過ごしました。
4月22日に書類選抜の発表があり、Twitterの受験者クラスタに衝撃が走りました。応募資格と健康診断結果、健康状況申告のみを審査すると告知されていたにもかかわらず、4127人の応募者のうち、通過したのは2266人と半分強しかいなかったからです。健康診断の基準が想像以上に厳しく、誰が見ても華やかな経歴の人が何人も落ちていました。私よりも宇宙に対する思い入れが強い人も大勢いた中、運良く書類選抜を通過した私は彼らの分も頑張らなければという想いに駆られました。
5月8日にオンラインで英語試験を受け、通過できたか一抹の不安を抱きつつも、次のSTEM等の試験対策に取り組みました。理学部化学科を卒業しているので、化学はどうにかなると踏んで、公務員試験のテキストでひたすら数学と物理の問題演習をしました。
STEM以外にも人文科学・社会科学分野の知識も問われましたが、この点については、長年クイズゲームを作ってきた経験が役に立ちました。私のクイズゲームでは高校までで学ぶあらゆるジャンルの四択クイズを収録しており、このクイズを数千問、自分の手で作ってきたからです。
news.denfaminicogamer.jp
クイズガチ勢が解くようなマニアックなクイズは苦手ですが、公務員試験の教養試験で問われるような広範な教養クイズにはマッチしていました。
5月20日に英語試験の合格発表があり、約3ヶ月間の英語対策はひとまず報われました。
ただ、英語試験は1407人と受験者の約6割が通過したこと、通過者の中で決して上位の成績でないことが後で分かり、英語力のさらなる向上に励まずにはいられませんでした。
5月29日にオンラインで「一般教養試験等」を受験しました。ここでは前述のSTEMや人文科学・社会科学を含めた一般教養試験に加え、小論文や適性検査を行いました。1000人以上が同時刻に受験した影響か、サーバーがとても重たく、問題文のページを切り替えるのに1回につき10秒ほどかかったり、接続が途中で途切れてログインし直したりしました。「さすが宇宙飛行士選抜試験、とんでもないストレス耐性テストだな」と言い聞かせて問題を解きましたが、試験2日後にJAXAからお詫びのアナウンスがあり、通信トラブルに遭遇した受験者のうち希望者全員に追試験が設定されました。とは言え、朝から夕方まで丸一日かかる試験を2週続けて受ける余力はなく、一応解答データはすべて提出されていることが分かったので、運を天に任せて追試験はパスしました。
6月28日に「一般教養試験等」を含めた第0次選抜に通過しました。この時点で受験者は残り205人、当初の約20分の1に絞られたのです。
これまでの人生が試される(第一次選抜・第二次選抜)
第0次選抜の通過発表からすぐに、私はオンライン英会話を始めました。10月に予定されていた第二次選抜では英語面接があり、第一次選抜の合格発表が出てからでは間に合わないと考えたからです。コロナ禍で2年以上海外に行けていなかったとはいえ、ふだんから英会話に慣れておくべきだったと痛感しました。また、歯科に行ったところ奥歯1本の根元が割れている(歯根破折)疑惑が生じ、しばらく治療してもよくならなかったので、約50万円をかけて7月上旬にインプラントを入れることにしました。
第一次選抜は7月中旬から8月上旬にかけて行われ、以下の内容が課されました。
・一次医学検査
・医学特性検査
・プレゼンテーション試験
・資質特性検査
・運用技量試験
このうち一次医学検査は病院で他の受験者と対面する機会が少しありましたが、他は主にオンラインだったので、ほとんど個の闘いという印象でした。第一次選抜で問われた能力は幅広く、自信を持ってすべてをこなせた人はいなかったのではないでしょうか。個人的にはプレゼンテーション試験が面白く、VTuberとして活動してきたことも役に立ったのではないかと思います。
第一次選抜が終わってから1ヶ月経っても結果発表がなく、Twitterでも選抜試験が話題となることが少なくなってきました。同志を見つけるのが難しい中、とにかくオンライン英会話と体力づくり(ジョギング、腹筋、背筋、腕立て伏せ、ストレッチ)に打ち込みました。
9月30日にようやく第一次選抜の結果発表があり、合格通知を見たときは喜びでいっぱいになったと同時に、早めにインプラントを入れておいてよかったと思いました。
第二次選抜の受験前に帰省して、両親に初めて選抜試験のことを話しましたが、驚かれはしたものの、「これまで散々海外に行っているし、今度は宇宙か~」くらいのノリでした。大学2年で世界一周に行ってからも事あるごとに海外に行き、コロナ禍までに53ヵ国に行ったことで、もはやそういう人間だとみなされていました。もっとも、私に養う家族がいたら反応は違ったかもしれませんが。
第二次選抜は10月中旬から11月下旬にかけて行われ、以下の内容が課されました。
・二次医学検査
・医学特性検査
・面接試験(英語、資質特性、プレゼンテーション)
第二次選抜は、その多くが対面で行われました。50人の受験者はいくつかのグループに分かれ、同じグループの人とは数日かけて同じ場所で選抜に挑みました。驚いたのは、受験者のバックグラウンドが想像以上に多様だったことです。これまでのJAXA宇宙飛行士は、パイロット、科学者、エンジニア、医者のいずれかであり、前回(2008年)の選抜の最終選考でも全員がこのいずれかでしたが、今回はこれ以外の職業の人が大勢いました。商社やベンチャーキャピタルで働いている人、現職の市議会議員など……。JAXAが門戸を広げたのはアリバイではないことを実感しました。
第二次選抜の受験者は、ほとんどの場合周りに宇宙飛行士を目指す人がいない中で、黙々と対策を積んでここまでやってきた人々です。選抜の内容をうかつに外部に話すわけにもいかず、同じテンションで盛り上がれる人がいませんでした。そんな人々がついに対面で出会えたわけですから、積もる話が尽きません。選抜後の飲み会も大いに盛り上がりました。
自分という存在を丸裸にされた(二次医学検査は、ほぼ文字通り)第二次選抜において、自分を飾ることは不可能であり、ありのままの自分をぶつけるしかありませんでした。けれども、私にとってはむしろありがたいことでした。職場ではVTuber活動や同人活動の話は一切しないし、ここでは職場の話はしません。もちろんそれはメリットがあってそうしているのですが、どちらの自分もさらけ出すことができる機会は稀有なのです。JAXA宇宙飛行士の面接試験で、コミックマーケットという言葉が飛び交ったのはおそらく私が初めてでしょう。宇宙飛行士を目指す人の多様性をJAXAに見せつけることができたなら、それだけでも受験した甲斐があったのではないかと思います。
これからの話
結果として第二次選抜は通過できませんでしたが、私がこれまで歩んできた道のりは決して間違いではなかったと確信しています。今後も宇宙飛行士という職業を目指すのかについては、まず健康面がどうなのか次第なところがあるので何とも言えません。けれども、CURIOSISTである私の選択肢に「宇宙に行く」が入り続けるのは言うまでもないでしょう。
ひとまず、地球にいてもやれることはたくさんあるので、それらに打ち込んでいきたいです。とくに意識したいのは、朝森久弥というブランドのファンを増やすことです。日本の中の、日本オタク文化に親和性の高い人たちだけでなく、国境の壁を超えた、多方面に認知される存在になる。そうすることで「知る楽しさ」をより多くの人に届けていきたい。宇宙開発への関心が高い社会も、きっとその先にあるのではないでしょうか。
朝森久弥はCURIOSISTとして生きていきます。これまでも、これからも。